郷土の博物館 [博物館]
守口と門真へ1日出張。京阪沿線は未知の領域。
門真というと、薫蓋クスと松下電器くらいしか知らなかったが、出張先のすぐ隣に門真市立歴史資料館があったので、合間に見学。
企画展では、歴代の南海地震や洪水についてとりあげられていた。伏見地震の噴砂のはぎとり標本がすばらしい。資料写真もぱっと見てインパクト大なものが多い。
常設展示では、市内出土の貝化石が展示されていた。これらは、いつか借用をお願いすることがあるかもしれない。
↓こんなのも展示・ガリ版・・・小学校の先生が使ってたよなあ
↓岸和田臼・・・この岸和田は「門真市岸和田」のこと・明治初期に発明された
ボルトで締め付ける形式のひき臼。
明治~大正には各地でおもしろい農具が開発された。
郷土史系の小さな博物館は最近、閉鎖や縮小が相次いでいる。
利用者が少ないから、といったらそれまでだが、他から来たものがその地域のことを知るには、分野にもよるが、博物館がいちばん適しているのではないだろうか。
極論かもしれぬが、地域の博物館に人があまり来ないのは、博物館自体の問題(展示がつまらないとか、目新しい情報がない)だけじゃなくて、その地域が停滞しているとか、その地域の魅力が活かされてない、あるいは地域の魅力が失せてきているとか、そういうのもあるんじゃないか、と思う。
ちよのすけ様、郷土史というのは、実は地域の活性化の原点につながるものと私は個人的にそう思っています。自分たちのふるさとの寄って来るものとは何かをきちんと、腰を据えて見ていかないと、私たちはみんな「AMERICA人」になってしまいます。私も「故郷を捨てた」と「故郷にいる人たち」に思われている人間のくちなのですが、ふるさとを思う心をきちんともっていないとデラシネになってしまうように思います。余談ですが、バブル以降のヒットソングからなくなったもの、それは「ふるさと」という言葉や情感に根ざした共感だと個人的には思っています。神社仏閣をめぐり、自分のふるさとのことを調べてい中学生くらいの頃には時代遅れを恥じ、都会に出てきてはふるさとに根ざさぬことを恥じる。いったい私と故郷をつなぐものとは何でしょうか。それでも、私は地域に執着することと思います。
by みさき公園支配人 (2007-02-13 21:55)
みさき公園支配人さまこんばんは、お越しありがとうございます。
郷土史の扱い方は難しいですね。よいところばかり見せると、実情にあわないし、偏執で排他的な愛郷心とも呼べぬものになったり。かといって現状をそのまま見せたら何でもよい、という訳にもいかない。今までの郷土博物館は「おらがお宝」的なものばっかりで、そのエッセンスまで踏み込ま(め?)なかったので、閉鎖に追い込まれているのでしょうか。
そう考えると、博物館などの施設も、世の中の根幹に関わる、重要な一翼を担っているのかもしれません。
ただ、もうすでに地域としての魅力がなくなっている場所も多いですね。
さまざまな分野における郷土の持ち味はこれからもなくなっていく一方だと、私は悲観的に思ってます。
こうなると郷土のものを扱う博物館としては何をすればよいのだろう、と途方にくれたりもしてます。
by ちよのすけ (2007-02-14 00:33)
合併や効率化の中で、弱体化しつつあるのが小規模な博物館・資料館です。お宝ではなく、ありきたりのものしかないからこそ意味があるのですが、残念ながら、職員が誰も駐在していない施設が多くなりました。数十年先に後悔しても始まらないので、今の時点で、博物館・歴史業界として何ができるのか、何をしたらよいのかと、悩むことは多いです。
by ponta (2007-02-16 16:06)
pontaさまこんばんは、お越しありがとうございます。
確かに、職員がだれもいなくて、質問しても「分からない」ばかりのところ、多くなりましたね。門真はちゃんと職員さんがいたので、そういうことはありませんでした。やっぱり満足度が違いますよね。
数十年先、私のところも含めて、こういう博物館はどうなっているのか、心配ですが、現場の人々はきっと、1日1日を薄氷を踏みながら過ごしているのでしょう(私もそうです)。
by ちよのすけ (2007-02-17 01:27)