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汽車ホテル [べんきょ]

南海電車の廃車を利用して作られた「汽車ホテル」
022.jpg

淡輪にあったらしい。
元祖、ラブホテルだったという説もあるそうな。





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コメント 4

どっかの営業部長

ああこれがあの汽車ホテルですか。なかなかこの絵はがき出てこないですね。探しているんですが。。。ラブホテル説は、戦後の「ロマンス山」(とあたりを呼んだ)伝説から来たんですかね。詳しい話を聞いていません。
 これを作った人は、香川県の方で2カ所くらい水族館もつくっったらしいです。「らしい」というのは、その人の人物記には出てるけど、手元の水族館史には記録がないのです。本当にあったのかな。
 どちらも謎です。
by どっかの営業部長 (2011-11-09 19:25) 

ちよのすけ

 どっかの営業部長さまこんばんは、お越しありがとうございます。
 汽車ホテルだけの絵葉書組があるんです。途中で売り払ってしまったので、手元には2枚しかないんですけどね。

 ラブホテル説は、「ロマンス山」のほか、この汽車ホテルの宣伝にあった、料金体系がもあるようです。2人部屋しかなくて、宿泊料金と休憩料金が細かく決まっていて、ごはんが出してなかったみたいで・・・。

これを作った人、分かっているんですか!さすがです。
またぜひお教えくださいませ。

by ちよのすけ (2011-11-10 23:17) 

どっかの営業部長

作った人は大塚惟明さんとおっしゃる方です。
山陽鉄道、讃岐鉄道を経て30代で南海の役員になっています。
この方が讃岐鉄道時代にどうも水族館つくっているらしいんですね。でも鈴木克美・西源二郎著の水族館学の水族館年表にはそれらしい水族館がないのです。
 あと、みさき公園関係の設立の背景のブレーンとかもわかってきましたよ。どうも民俗学者の宮本常一さんの庇護者だった渋澤敬三さんがからんでいるようです。アチックミュージアム(屋根裏博物館)の渋澤さん、渋沢栄一のお孫さん、日本銀行頭取の渋沢さん。。。
 その人の来阪時のカバン持ちをしていた方から直接伺ったのですが、ビックリでした!
by どっかの営業部長 (2011-11-12 00:55) 

ちよのすけ

どっかの営業部長さんこんばんは、お越しありがとうございます。
讃岐鉄道の絵葉書に、水族館、ありました。
なんていうのか、海に面したところに、見晴台があるような構図だったような・・・。手元にあったら、またアップしますね。

しかし、すごい面々ですね!大南海って感じですよね。
by ちよのすけ (2011-11-12 01:49) 

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